先日、南日本新聞さんのこのような記事を見つけました。
高校バレー部顧問の体罰問題です。
その記事によると、体罰が消えない理由の一つに、【保護者による過度な部活への介入】を挙げていました。
「勝つために体罰は必要なもの」という保護者への意識の広がり。
体罰を受けて結果が出ると、それが一つの成功事例となり、その時の生徒が指導者になると、今度は自分が選手時代に受けた指導をそのまま真似てしまう。
「このやり方で勝ってきた。これが正しい」という自負があり、その指導を否定されると、これまでやってきた自分をも否定されたように感じてしまうのでしょう。
今のスポーツ界で体罰根絶が進まないのは、この悪循環が一つの要因と私は考えます。
私たちが伝えているのは、そのやり方が正しい、正しくないではなく、「時代の変化」です。
その時のやり方は、その時代だから通用したもの。
体罰を容認する指導は、パソコンが主流にも関わらず、ワープロを使って仕事をしているようなもので、昭和の指導のまま時代の変化に対応できていない状態なのです。
体罰指導による、子どもたちが受けるデメリットは沢山あります。
例えば、
・社会に出ても強い刺激がないと行動できなくなってしまう。(言われないと動けない人になってしまう)
・考える力が養われない(言われたことにしか反応できない)
・本当は大好きだったそのスポーツが嫌いになってしまう
・大人になってもこの先ずっとその先生や当時の恐怖感が夢に出てくる
といった感じでしょうか。
その場の結果を求めて勝ったとしても、スポーツを終えた後の方が人生長いのに、子どもたちにとって、本当に勝つことが幸せなのか。
選手時代に体罰や暴言を受け、社会に出て苦しんでいる元アスリートを私は沢山知っています。
本当に必要なのは、そのスポーツを通じて、いかに考える力を養い、瞬時の状況変化に対応できたり、素早く判断したり、予測したりと、将来必要とする能力を備えたり人間力を高めることです。
地道な活動ではありますが、指導者も保護者も、子どもたちの将来に目を向けて指導をしたり見守ることができるよう、引き続きスポーツでの人材育成について発信し続けます。
時代はすでに変化しています。
今の時代に合った指導にシフトチェンジし、ますます加速する時代の変化のスピードに取り残されないよう、是非指導者の学び、情報収集に努めていただけることを望みます。